池田大作の著作と日本語教育

『詩集 勝利の舞』を例に

深圳大学 王崗

 

要旨

 人間教育や世界の平和を主に論じている池田大作の著作は、日本語教育とは一見、直接な関連性がないように見えるものの、実際にその両者の間には接点があると思われる。その一つに、池田著作における輝かしくて分かりやすい金句や名言は日本語学習に役立つところがある、ということがあげられる。本稿は、中国の大学の日本語教育現場で使用される教材を参照しながら、池田大作の著作と日本語教育との関わりを検討する。

 中国の大学の日本語科では、「精読」が主幹科目として非常に重視されている。その「精読」授業の教材として用いられるのは、本稿著者の勤務大学の場合、上海外語教育出版社発行の『新編日語』(周平ほか、2011)である。その中に、日本語の表現や文法ポイントに関する分析や説明がなされているが、例文として用いられるのは、いくらか硬かったり、活気や英知に欠けたりしているものが多い。その場合では、池田著作に現れる分かりやすい名言などを引き合いに活用すれば、学習者の知識運用や日本語理解に多いに役立つことになるだろう。

例えば、「∼ながら」や禁止の用法については、教材に次のような例文が出される。

 1)一人でビールを十本も飲みながら、まだ注文しています。

 2)わたしが見てもよいと言うまで、決して見る

単なる用例としては、1)と2)は何も問題ないが、ただどちらかといえば、やや英知に欠けているように思われる。そのかわりに、例えば『詩集勝利の舞』という池田著作から、以下の文を追加例として引用したりすれば、総合的な教育効果を高めることができるのではないかと考えられる。

3)残念ながらこの通りの恩知らずが世の中にはあまりにも多い。

4)悩みに負ける

 池田著作において、上記のような優れた言葉や表現が随所に拾われる。それらを教育現場で適当に活用すれば、学習者の日本語理解およびその人間教育に極めて有益なことになるだろう。